@article{oai:hakodate-u.repo.nii.ac.jp:00000374, author = {安木, 新一郎}, issue = {1}, journal = {函館大学論究}, month = {Oct}, note = {「森の民」の中には集団名がその居住する河川名によるものがあり、モンゴル高原 と同じく、チョルゲ(漢語では路)という流域ごとに集団を把握するという統治手法 が採られていたことがわかる。また、地名をテュルク語で表しており、シベリア統治 においてリンガフランカ(族際共通語)、あるいは行政用にテュルク語が使われてい たか、もしくはサモエード語話者のテュルク語への移行が見られる。さらに、ジョチ 朝・シビル国の影響はエニセイ河中下流域にまで及んでおり、のちにロシアはシビル 国が利用してきたイルティシュ、オビ、エニセイ河流域の既存の河川網を伝って侵略 し、各地でヤサク(毛皮税)を取り立てることができたと考えられる。参考書や資料 集に載せられたモンゴル帝国の版図を表す地図では、元朝やジョチ朝の範囲がシベリ アの真ん中あたりまでとなっているものが多い。しかしながら、『元朝秘史』の記述 を前提とするならば、14 世紀第1 四半期の元朝の版図はエニセイ河とアンガラ河の 合流域より南までで、西シベリアおよびエニセイ河口域にいたる北極圏はジョチ朝の 版図となる。}, pages = {11--32}, title = {「森の民」に関する覚書 ―モンゴル帝国支配下のシベリア―}, volume = {52}, year = {2020}, yomi = {ヤスキ, シンイチロウ} }